生みのお母さん、育てのお母さん、犬のお母さん

〈図1 2018年7月22日撮影〉

7月22日、アイちゃんが夜中に息苦しそうにしていた。

触ってみると、熱があり、お腹が張っていた。

脱水症状なのか、なんなのか…

病院で薬の注射と点滴をしてもらったら、なんとか持ち直した。

先生は「漢方薬が効いて、腸が動いてきて熱くなっているかも」という。

私は病院に付き添っていたが、本当にあの時はどうしたらと思った。

アイちゃんがいなかったら、今の私はいないからだ。

実母は”私、イオ”という命を生んではくれたが、

ご飯(というよりエサ)を食べている状態に近い。とりあえずお金はあった。

ただ会話がない事や、教育を受けてなかった事から、脳が育たないまま年をとった。

その後、実母の中高の先輩であったママハハに出会い、

家庭教師として勉強や一般常識、また元々私に無かった人間的な感情を教えて頂いた。

ただ、「愛着」や「悲しみ」などが自分の中で希薄で、

ママハハに教えてもらっても脳内で繋がりにくかった。

大学2年になってアイちゃんに会ってから、自分は少し変わったみたいだ。

アイちゃんに出会って、一緒にいる事、トイレに出す事などでアイちゃんに対する愛着、

世話をする責任感などが出来てきたらしい。

自分はどこまで変わったか、出来ているかは分からないが、

ママハハに植えてもらった「感情の種」をアイちゃんが育ててくれたのかもしれないな。

また、私にとっては、アイちゃんは安心する存在だ。

犬と人を同格に扱う事は許されないが、私にとっては母の様な存在。

まだまだ長生きして頂きたい。

〈図2 2018年7月22日撮影〉

フォローする