12月18日

12月18日はフ―ちゃんの命日。

フ―ちゃんには何をしてあげられたのかと、後悔している。

散歩、ご飯、薬、やってあげられなかった事ばかりだ。

そういえば夕方にスー太と散歩していたら、空にアイちゃんとフ―ちゃんにそっくりな雲が。

一緒に散歩に来てくれたのだろうか。

〈図1 2018年12月18日撮影 上がフ―ちゃん?下がアイちゃん?〉

その日はスー太との散歩で、フ―ちゃんと関連している場所を通った。

まず、昼には自宅から徒歩7~10分程の公園へ。

一度自宅から坂を昇って、更に階段を降りるとそこにたどり着く。

そこはママハハがフ―ちゃんと病院から帰った時に休憩した場所。

お花見にも行ったことがある。

〈図2 2016年4月15日撮影〉

それから、夕方には家から10~15分程歩いて坂を上ったところにある公園。

ここにはフ―ちゃんは2,3回行ったことがあった。

心臓が弱くて、あまり外に出られなかったが、公園では楽しそうにしていた。

〈図3 2016年4月17日撮影 フ―ちゃんとWISSちゃん〉

その公園を下って、いつもの平坦なルートを通って帰宅。

フ―ちゃんと散歩した道だった。

〈図4 2016年4月12日撮影〉

…フ―ちゃんも一緒に散歩に付いてきてくれただろうか。

本当だったら元気な時に連れてきてあげたかった。

少しずつでも私が外に出してあげたら、フ―ちゃんは違ったのではと思っている。

実はフ―ちゃんは保護犬で、かなりボロボロの状態で来た。

私が出会ったのは2014年12月28の事。

初めて見た時には骨と皮だけの状態、ママハハによるとごみ箱に捨てられていたという。

心臓には既に雑音があり、外に出すとパニックになる事があった。

相当酷いところにいた様だ。

私は、ママハハがいないと一人ではどうしたらいいのか分からなかった。

思い返すと、抱っこして近所で日向ぼっこするだけでも違ったのかもしれない。

近くでトイレして、近所の人と話したり、そんなことでも良かったのかもしれない。

自分自身も外に出られなかったので、それすら当時の自分には難しかった気がするが…

今やっと犬の散歩で外出して、近所の方と交流する様になって気が付いたのだと思う。

庭には出していたが、もう少し外に出ていれば、

血行が促進されて心臓にもよかったかもしれない。

昨年フ―ちゃんが亡くなってから、散歩も頑張ってみようと思い、

スー太と外に出たら、案外早く散歩出来る様になって衝撃だった。

今まで何だったのかと。

今は、ママハハの指導により、犬用お粥が作れる様になってきている。

これもフ―ちゃんにやってあげたかった事だ。

フ―ちゃんは喜んでお粥を食べていたから。

出来る事が増えていく度に、フ―ちゃんの事で後悔するのだろうか。

ごめんね、フ―ちゃん…

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