12月18日はフ―ちゃんの命日。
フ―ちゃんには何をしてあげられたのかと、後悔している。
散歩、ご飯、薬、やってあげられなかった事ばかりだ。
そういえば夕方にスー太と散歩していたら、空にアイちゃんとフ―ちゃんにそっくりな雲が。
一緒に散歩に来てくれたのだろうか。
その日はスー太との散歩で、フ―ちゃんと関連している場所を通った。
まず、昼には自宅から徒歩7~10分程の公園へ。
一度自宅から坂を昇って、更に階段を降りるとそこにたどり着く。
そこはママハハがフ―ちゃんと病院から帰った時に休憩した場所。
お花見にも行ったことがある。
それから、夕方には家から10~15分程歩いて坂を上ったところにある公園。
ここにはフ―ちゃんは2,3回行ったことがあった。
心臓が弱くて、あまり外に出られなかったが、公園では楽しそうにしていた。
その公園を下って、いつもの平坦なルートを通って帰宅。
フ―ちゃんと散歩した道だった。
…フ―ちゃんも一緒に散歩に付いてきてくれただろうか。
本当だったら元気な時に連れてきてあげたかった。
少しずつでも私が外に出してあげたら、フ―ちゃんは違ったのではと思っている。
実はフ―ちゃんは保護犬で、かなりボロボロの状態で来た。
私が出会ったのは2014年12月28の事。
初めて見た時には骨と皮だけの状態、ママハハによるとごみ箱に捨てられていたという。
心臓には既に雑音があり、外に出すとパニックになる事があった。
相当酷いところにいた様だ。
私は、ママハハがいないと一人ではどうしたらいいのか分からなかった。
思い返すと、抱っこして近所で日向ぼっこするだけでも違ったのかもしれない。
近くでトイレして、近所の人と話したり、そんなことでも良かったのかもしれない。
自分自身も外に出られなかったので、それすら当時の自分には難しかった気がするが…
今やっと犬の散歩で外出して、近所の方と交流する様になって気が付いたのだと思う。
庭には出していたが、もう少し外に出ていれば、
血行が促進されて心臓にもよかったかもしれない。
昨年フ―ちゃんが亡くなってから、散歩も頑張ってみようと思い、
スー太と外に出たら、案外早く散歩出来る様になって衝撃だった。
今まで何だったのかと。
今は、ママハハの指導により、犬用お粥が作れる様になってきている。
これもフ―ちゃんにやってあげたかった事だ。
フ―ちゃんは喜んでお粥を食べていたから。
出来る事が増えていく度に、フ―ちゃんの事で後悔するのだろうか。
ごめんね、フ―ちゃん…